1970年頃でしょうか。私たちが参加していた、というよりも最後は会長を務めていたグループが出入りしていた組織が主催していた、いわゆるフォークのコンサートです。当時、アメリカでは「フーテナニー」とかいうコンサートが流行っていたのだと聞かされていて、それだ、という説明でした。何度か目黒にあった杉野講堂でコンサートを開いていました。私たちはぺらぺらのスタッフジャンパーを着て、ボランティアで会場の下働きをしました。そういうことで加わっているという達成感を得て楽しんでいたというわけです。
このコンサートの出演者の常連には長谷川きよし、オッコとミミ、ノイズ・ハミング、藤原豊といったところがいて、彼らのオムニバスLPも作られました。まだ、うちに一枚あるはずです。
なんでこの活動に絡んでいたのかというと、私たちのグループの中心人物のひとりがこのコンサートのプロデュースをしていた金子詔一につながっていたからです。金子詔一は「今日の日はさようなら」という歌の作者で当時知られていたのですが、ストーリービル・ダンディーズというディキーシランド・ジャズのバンドのベース奏者で学校の先輩でした。このディキシーランドのバンドは確か、第一回ヤマハLMCの関東大会で優勝したというのは知っていますが、全国大会でどうだったのかは知りません。この時に三位になったのが、長部正太のThe Trioだったと聞いています。ストーリービルダンディーズというのは津村順天堂の津村昭のバンドで、代田橋に合宿所を持っていました。津村昭とストーリービル・ダンディーズという名前はついこの前までどこかのライブハウスで聞いたことがあります。
半世紀ぶりくらいで、数年前に曙橋のバック・イン・タウンで金子詔一がベースのサポートで現れるという噂を聞いて聴きに行ったことがあります。私のことを覚えておいでだったのかどうか、確信がありませんがご挨拶をしました。オッコとミミもきていましたが、挨拶はしたものの、お互いに、あぁ、そうですか、位でしたねぇ。そういえば、このコンサート「心の歌と若者達」でその他大勢の歌メンバーに入っていたことがあって、昔の代々木のオリンピック村で練習をしたことを覚えています。あれからもう何十年。後ろを振り返り続ける時期ですかね。