ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

その後

 保守の論客として知られた西部邁(にしべ すすむ1939年(昭和14年)3月15日生まれ)と昭和史の保阪正康(1939年12月14日生まれ)は共に北海道の生まれで、学年が西部が一学年上の筈だけれど、同じ札幌の柏中学の出身であり、共に登下校した仲であった。西部が札幌南高に進学し、保阪は札幌東校に進学した。
 西部は病院にかかるというのはnatural deathにならないからいけないのだと従前いっていたのだそうだ。多摩川に入水自殺する前日、娘も共に某新宿の飲み屋に顔を出し、夜中に「俺はまだ行くところがある」といって娘と別れたのだそうだ。北海道の人間は泳げない者が多いのだという話にはびっくりさせられるが、それだったら、確実に死ねてしまうという確信を彼は持っていたのかも知れない。西部は入水自殺をしても、そのまま川に流されていったら家族が見つけられないと自らの身体をロープにつないで入水したらしい。綿密にそんなことまで考えて自殺を敢行しようとする自殺志願者の気持ちを理解するのはなかなか容易ではない。

芥川追想 (岩波文庫)

芥川追想 (岩波文庫)

 この本の中では多くの文人が芥川の氏に接して文を寄せているのだけれど、菊池寛の文章を読むと、芥川はかなり神経質だった様子がうかがえるが、西部もそんな感じがしないでもない。西部は葬儀もやりたくなかったそうで、そのまま荼毘に付したらしい。もちろん香典も生花も辞退したそうだ。
 保阪によれば、経済学の理論と現実との乖離に悩みを持っていたはずだという。