京王線の特急の中で、無差別に人を刺し、放火した24歳の男は映画「Jouker」を気取っていたそうだ。それで止まった電車の中で足を組んで煙草を吹かして警察に捕まったそうだ。誰も観客はいないのかと思ったら停まっている反対側の電車から動画を撮っている人がいたとテレビがやっていた。今時は24時間監視カメラがあるだけじゃなくて、歩いている人間のほとんどがカメラを持っているから映像には事欠かない。未来のドキュメンタリー作家とか、歴史ジャーナリストたちは、資料がありすぎて、大変だなぁ。
あ、話はそれじゃない。犯人は先日の小田急線車内での通り魔を参考にしたなんぞと嘯(うそぶ)いている。
「Joker」をご存知ない方のためにご説明すると、売れない「クラウン」屋を子どもが怖がるとクビになる。母親は既に認知症で、生活は苦しく、もはや絶望的である。スタンダップ・コメディアンになるが、全く受けない。受けないのに、精神的障害で彼は笑ってしまう。全くしくじり、彼は四方八方塞がりの中に孤立する。受けなかったその動画を録画した奴がいて、それがアメリカで毎晩放送されるワイドショーで放送されて、あざ笑われる。つまりネタにされてしまう。皮肉なことにそれで彼は世に知られる。テレビが彼を探し出し、生放送に呼ぶ。その気になってスタジオに現れた奴は尊大な態度を取り、しまいに拳銃をとりだして、パーソナリティを撃ち殺して逃げる。パーソナリティー役はロバート・デ・ニーロ。
昨日の犯人はその「Joker」を気取っていたそうだ。本人がそういっている。
犯人野郎自身が自棄になった結果がこれだ。
冗談じゃない。
人道的にも、世間の価値観としても、悪いのはこの犯人ただ一人で、他には悪い人は誰もいない。
彼の24年間の人生は何だったのか。
電車にたまたま乗り合わせた高齢者を死の境に追いやることだったのか。
彼は衆議院選挙になんか行っていやしない。
このあとの社会なんてどうでも良かったはずだ。
いや、たぶんここに至るまでの人生もどうでも良いやと思い返していたに違いない。
ふてぶてしかろうと、態度が悪かろうと、生意気だろうと、思わず説教したくなるような奴であっても、苦しくなって打開策が見つからなくなったら、役所の福祉課に行って、「経済的に助けてくれ」といって助けて貰えれば良いのになぁ。
自助は孤立を深める。
そのために公助がある。
共助が見つからなかったとしても。
政治というのはそういうものであるべきだよなぁ。
追記
どうも彼は経済的には困ってはいなかったような様子が伝えられてくる。