ほぼ足りてまだ欲 その先

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桂歌丸

 横浜出身の噺家桂歌丸が死んでから3年経った。私はほとんど「笑点」も見なかったし、落語芸術協会のメンバーが好きじゃなかったから、あんまり彼のことを知らない。
 ウィキペディアによると、歌丸が真打ちになったのは1968年だと書いてある。私が横浜から池袋へ通い出したのは1967年なので、歌丸が真打ちになった頃か、なる前だったのか、何回か、横浜の東海道線横須賀線の上りプラットフォームで見かけたことがある。私も朝一番の授業がなかったのか、あるいはサボっていたかで、もうプラットフォームもガランとしていた時間である。歌丸はどこかの寄席の昼席にでも出演していたのかも知れないが、横浜から二等車に乗った。それまでの二等車が「グリーン車」という訳のわからない呼び方になったのは1969年5月。私が歌丸だとわかったんだから、もう既にテレビによく登場していたということなんだろうと今になって思う。
 その時に二十歳そこそこのクセに私は彼のことを随分生意気な若手噺家だなと思って、それから馬鹿にしていた。当時歌丸はもうすでに32-3歳になっていたんだろう。噺家が二等車なんぞに乗るねい!と思っていた。こっちの方がよっぽど生意気である。
 だから、彼が晩年圓朝の長いものを高座にかけていると聞いてはいたけれど、ほとんど興味がなかった。そもそも私はあの手の長い怪談物を聴くのが怖いので、なかなか接する機会も無い。なにしろ三遊亭圓生の「真景累ヶ淵」だって「牡丹灯籠」だって、怖くて一気に聴けないというくらい。それに歌丸のあの語り口も好きではなかった。個性があると表現するのかも知れないけれど、好きになれなかった。

 さっきたまたま、書棚をあさっていたら、「東京人」の2007年9月号を見つけた。それも二冊も。それが圓朝の特集で、巻頭で歌丸芥川賞作家の辻原登(私は小説を読まないから良く知らない)と対談をしていた。そこで、あ、そうだ、彼は通しを録音しているはずだなと思い出した。もうそろそろ聞いても良いんじゃないかと、例によって地元の図書館を検索。芸能はお手の物と聞いたのに、ろくなものがない。それで、隣の区の図書館を検索すると、両方とも立派に全巻CDが揃っている。本当に隣の区に引っ越したい。うちの区の図書館は格好ばっかりで役に立たない。