ほぼ足りてまだ欲 その先

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建国大学

満州という関東軍の傀儡国家があったときに、満州帝国立建国大学という全寮制の大学があったという。
もっとも満州帝国という傀儡国家そのものが1932年(昭和7年)3月1日の成立、1945年8月18日の滅亡と、13年5ヶ月しか存在しなかったわけで、当然この大学の存在も大変に短く、1938年5月に開学してから1945年8月満州帝国が滅亡するにしたがって閉校と、7年3ヶ月間の存在であった。
五族協和を詠っていた満州国だから、見かけの上でも日本、中国、満州、蒙古、ロシアからの学生が難関入試を突破して入学したそうだ。とにかく学費は全て国持で、給与すら支給され、学生は厳しい全寮制の中でも、夕食後就寝時間までの間、「座談会」と称して、全く言論の自由が保障された討論を戦わせていたのだそうだ。もちろん、その基本的な生活はあたかも日本式であり、中身を見たら、「満州国立」とは、今になっては思えないが、かなり優秀な若者たちが集まっていたらしい。
この大学のことを書いた本が出ていたのは2015年12月のことで、その時点で私はこの本の存在を書店の棚で認識していた。しかし、満州国立の大学と聞けば、そりゃ当然、関東軍の力が及ぶものであり、あの欺瞞に満ちた国家を象徴するようなもので、それを美化したようなものだろうと勝手に判断して無視していた。ところがこの本が2年後に文庫化されて出るにいたって、やや、これはなんとしようと心のどこかに、突き刺さっていた。
よくよく見ると、第13回開高健ノンフィクション賞受賞とあり、こりゃ読んでみようかなと手にした。
著者は朝日新聞の記者である。
この本が刊行されてから6年間、手にしなかったことを後悔する中身だった。多くの在籍した学生たちのうち日本人の多くは学徒動員で戦地に赴き、国民党軍の兵士ともなり、シベリア抑留まで受難し、それでも戦後の日本でかなり活躍した様子である。中国人、満州人の学生はやはり非常に難しい戦後を送ったことがわかる。
戦後11年間中国で苦しい生活を強いられ、帰国後大学院に入り、その後神戸大学で名誉教授になった百々和(どど かず)が著者のインタビューに答えている中に、しばらく忘れていた言葉を思い出した。少し長いが引用する。

「リーダーとは何か」と尋ねられれば、私は今もこう答えると思う。それは「いざという時には責任を取る」ということだ。リーダーに求められる資質とは、ただそれだけのことなんだよ。いざというときには責任を取る。それは易しいことのように見えて実は難しく、とても勇気のいる行為なんだ。何かあったときには必ず自ら責任を取ること。

彼はこの言葉の前にあの頃の日本人には「潔さ」とは「美しさ」とそれほど変わらない意味だった、とも語っている。
時代から考えると、得てして誤解されかねないけれど、私たちの年代にとっては、中学生、高校生の頃まではまだ、こうした意識が残っていたような気がする。それは戦後14-5年間ということになるけれど、嘘、偽りをいってその場を逃れるのではなく、潔く自らの間違いを認めて、他の人たちへ被害が及ばない手立てを取るということを意味してもいたような気もする。

このテーマで博士論文を書き上げた研究者がいて、その論文が刊行されている。
「建国大学と民族協和」1997年3月刊行 著者:宮沢恵理子