ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

引き続き立花隆

白い花はただそれだけで良い。

 昼間のうちは天気が良さそうだったから神保町へ行こうと思い立った。文庫本を売っているところを巡って立花隆を探そうという気になった。しかし、ここのところ神保町はろくなものが見つかったことがなかった。それに外食する気もない。気を許した外食ができるようなら、行きたい店はいくらでもある。実際行きかかってみれば分かるけれど、外食屋は結構昔のようではないものの、人が入っている。だけれどもそんな気にならない。Google mapで探すと「文庫の」なんとかなんて書いてある店が見つかる。しかし、行ってみると、古い古い岩波新書の山だったりして、ちくま文庫なんて数えるほどだった。
 何人もの人たちが「いったん、しおりを挟みます」の三省堂の表示を写真にしているから、私も上げておく。私は、もちろん、この三省堂には入ったことはあるけれど、それほどの思い入れはない。大体、新刊本だったら八重洲ブックセンターか、丸善日本橋だからだ。それはなぜかといったら、神保町に来るには必ず乗り換えなくてはならないからだ。
 もうひとつ驚いたのは、金ペン堂が店を開けていたことだった。COVID-19騒ぎ以来、金ペン堂はシャッターを下ろしており、「予約してくれ」と書いてあった。それが以前のように開いていたので、別に買いたい万年筆があるわけではないが、行ってみた。すると、それでも「予約のお客様だけの対応としております」と書かれていた。ここの良さは、何度も書いているけれど、必ず当たり外れがない、ということだ。すべてのここの製品を店主がチェックしている。私がwatermanのインクを使い続けているのは、ここの店主の勧めによる。それほどこの店は客の信頼を得ている。
 何軒かあてにしていた店をチェックしても見当たらない。あてにしていた店の一件が休んでいたのが心残りである。その代わりに捨て値の仮出店場所で三冊で500円にひかれて三冊手にした。

 ここで、力尽き、帰ろうと思い立つ。神保町の駅へ潜ろうと入り口に向かう途中で、ふと立ち止まった古本屋の店頭から中を見ると、古い、それこそ4-50年前の本の中に不釣り合いに最近の本が挟んである。それを見ながらひょっとするとこんなところに刺さっていたりするかもなぁと、奥へ踏み入った先。あっ、立花隆だ!と思ったら、なんと四冊並んでいる。目標の三冊そのものではなかったけれど、小躍りして引き抜く。奥におられた奥さんに、「立花隆は出ませんねぇ」とお話しすると「亡くなるとねぇ」と。遠藤周作さんもそうでしたよ、と仰る。「私は遠藤周作は怖くて読めないんですよ」というと、そこからしばらく作家が亡くなったらと言う話になった。お金を払いながら、机の上の花が気になった。立派な牡丹の切り花だった。お庭に咲いたお友達がお持ちになったそうで、良いお友達をお持ちですねぇ、と話に花が咲いた。帰りの道は足が自然に前に出る。


 (入手したのは紙の本) 立花隆の本はどれも大変に危険で、読み進むうちに出てくる書籍を片っ端から手にしたくなる欲望がめきめきと頭をもたげてくるので、それを押し込んで押し込んで読み進まなくてはならない。これは相当に忍耐を要する。電子書籍よりも紙の本の肩を持つのは致し方がないとは思うんだけれど、若者はどう思っているんだろう。これは慣れではないかという気がする。しかし、私は大事にしたい本はどちらかというと紙で持っていたいのだけれど、出かけるときに帯同するのは絶対に電子書籍にする。なにしろ紙の本は重すぎる。kindleだったら、ペラッという感じだ。だから、iPadの方がたくさんの電子書籍を抱えていられるのだけれど、重さからいって絶対にkindleだ。あの軽さは実に快適だからだ。取り込む要領がとんでもなく大きなkindleを作って欲しい。

 文藝春秋