ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

湿気がベタベタ

台風8号(メアリー)がやってきていて、午前中も一時雷が鳴りながら驟雨が通り過ぎていった。
当然湿気はベタベタながら、気温が上がらないので、甚だ快適で、買い物に出かけた。
ちなみに私が幼い頃、うちで飼っていたベージュ色の雑種の雌犬の名前はメリーだった。
メリーは賢い犬で幼い私の顔をすべすべのシタベロでペロペロ舐めた。
野犬捕獲員の人が針金を輪っかにした道具で野犬をひっ捕まえにくると、私は必死になって「メリー!メリー!」と叫ぶと、彼女は何事ならんと急いで走って帰ってきた。
しかし、後から父親が飼い始めた真っ黒い秋田犬の「けん」ばかり大事にし、静岡へ転勤で引っ越した時は、メリーは親戚に預けられ、彼女が天寿を全うできたのかどうか、私は知らない。
それだけが心残りである。

お盆の休みだから、電車は空いているよ、という話だったが、週末だったせいか、行きに乗った地下鉄は若いカップルや若い男女が優先席の半分以上を占めていた。
日本橋の駅で、スマホを見ながらウロウロしている初老の男性に「どこを探しているのか?」と聞いたら、東西線が、とか、10番出口が、とか、要領を得ない。
自分自身でもどう説明したら良いのかわからないようだった。
初めてきた人はまず地上に出てしまうことをお薦めしたい。
この駅はあまりにも複雑になってしまって、なかなか外に出られないのだ。

丸善日本橋店はさすがにガラガラだ。
本の雑誌」の沢野ひろしの表紙はどうも私にとっては染みついてしまったものがあるらしく、ついつい買ってしまう。
なにしろ特集は「本を直す」で、私は本を分解はすれども、直すことなんぞこれっぱかりも縁がない。
ところが世の中は不思議なもので、その沢野ひろしが今月号の最後の方に、佐久穂町大日向の話を書いている。
ここは終戦間際に多くの次男坊三男坊が中心になって満州へ集団移民をし、戦後戻ってきた人たちが行き場所がなくて、軽井沢の大日向に入植した。
沢野ひろしが書いている「図説 満州帝国(河出書房新社)」がどこかで聞いたことがあるなぁと書棚を探すと、案の定、刺さっている。そうか、ふくろうの本だ。
軽井沢の奥の大日向には今の上皇上皇后が毎年訪問をしていた。
昭和天皇が1947年に地方巡幸で訪れ、入植者を激励して以来の縁だというんだけれど、あの頃天皇行幸は頻繁に行われたというけれどねぇ。
だから、お盆明けに軽井沢あたりをウロウロしているとご一行様がお通りになるので下々は交通規制されちゃう。
挙句に、長野県警のおまわりに「なんでこんな遠くから規制するの?」と聞くと、「見えてしまうからです」という時代錯誤な反応を聞かされて、反感を植え付けてしまうのである。窓から手を出して振れば良いのにね。
そうすれば軽佻浮薄な我々はつい、身を乗り出して手を振っちゃうのである。しまいには「ばんざあ〜い!」といわないとは限らないではないか。絶対しないけど。

月刊誌の棚は正論、Hanada、Willが安倍晋三記念号を出して、おべんちゃらの嵐である。
よくもまぁ、こんな嘘が書けるものだと、呆気に取られる。
昨日の「ミヤネ屋」で統一協会が韓国で文鮮明死後10年の大イベントを実行していて、そこで安倍晋三に献花をしたというのが流れた。
その現場にはトランプやペンスがビデオでメッセージを送り、ポンペイオは現場に駆けつけ、おべんちゃらをいったそうだ。
一説には彼らには多額な謝礼が払われるそうで、如何にも喉から手が出るほど金が欲しいトランプ陣営がやりそうなことだ。
当然、安倍晋三が生きていたら、同じことをしたはずで、これがこのまま終わるのだとしたら、この国の将来は見えている。

「草の根のファシズム」(吉見義明・著)は1987年に刊行されたもので、岩波現代文庫から再販された。解説は加藤陽子
ドイツのワイツゼッカーの「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」は肝に銘じなくてはならない言葉だ。

「特権を問う ドキュメント・日米地位協定」は2021年度の新聞労連ジャーナリズム大賞の受賞作で、毎日新聞の取材班が連載したものを書籍化したものだという。昨日の大竹まことの「ゴールデンラジオ」に著者の若い記者が出演していて、あ、やっぱり読まなくちゃいけないなと思い直した。こうしてみると、出版のキャンペーンでラジオやテレビに出るのは重要なことなんだなと、なんだお前はそっちから見ているのか。

ラジオといえば、昨日の夜のTBSラジオ「明日のカレッジ」は武田砂鉄の番組に、荻上チキが出た。なんと彼らは成城大学で、チキが一学年上なんだそうだ。で、チキが浦和西高時代に放送部で、NHKのコンテストに応募したラジオドラマを母校の先生が掘り出してくれて、それが流れた。なかなかな力作で、NHK-FMの「青春なんたら」で流しても良いくらいのものだった。