ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩


 本所吾妻橋のバス停でふと見上げると真っ青な快晴の空に圧倒的な存在感を示してスカイツリーが突っ立っていた。そうだ、こういう時に、飛び立った旅客機がこの辺に飛んでくるもんだよなぁ、と思っていたら、まさに飛んできたからカメラのズームを伸ばして撮った。その瞬間、私のすぐ後ろで、「いい写真が撮れましたか!」と知らないおっさんが声をかけた!それも大きな声で突然。
 いや、びっくりしたのなんの。「びっくりしたなぁ!」と三波伸介のように二度繰り返した。なんてやつだ。
 すると、そのなんて奴が得意げに、「これは最初足立区に建てるという話があったんだ」というから足立区のどこへ?」と聞いた。するとそれは知らないという。で、「ここに話があったんだけれど、問題がなかったわけじゃない、戦争中にここらには300m以上の高さのものを建ててはいけないというルールがあって、それがそのまんまだったんだというんだよ」ととうとうと喋るわけよ。後でネットで調べたら、候補地は15箇所くらいあったらしいじゃないの。そこへバスがやってきて、このおしゃべり爺さんから開放された。いっとくけどな、おっさん、スカイツリーが建っているのは昔操車場だったとは聞いているけれど、それは京成じゃなくて、東武だぜ。それに、戦争中に300m者高さの建物なんて建てられる技術はないだろう?1968年4月開業の霞が関ビルだって147mだぞ。

 こんな本も出ているというから、後でゆっくり調べてやろう。
 それにしても、ウンチクひけらかしたがる奴っているもんだなぁ。


 蔵前の古本屋の前を通りかかったら、100円本の箱に新潮社が出していた季刊「考える人」が二冊入っていたから、あんまりにも情けなくて気の毒で、救い出してきた。もちろんうちの棚にももうとっくに刺さっている号だけれど。


日本橋弁松の弁当を久しく食べていないなぁと買いたいなあと思った。百貨店の地下の売り場にいったら、もはや我ら庶民が買えるような値段ではなくなっていた。さようなら、弁松・並六。