ほぼ足りてまだ欲 その先

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またまた、「なんでなのか」

 連れあいは私がこうしたものを書き連ねていることがなんでなのか、全く理解ができないという。まぁ、私自身がはっきり言ってなんでこんなことをしているのかと聞かれても何も答えることができないのだから他の人が理解できるとはとても思えない。ひょっとしたら人を分析することに長けている人が「潜在的な○○な気持ちが全く不特定多数の人々の前に自分をさらけ出すことを促し、その結果○○な気持ちを△△にしているのだ」という解説をしてくださるのかもしれないが、それとて私自身ではないのだから、5つの要素のすべてを満たしているかどうか。目立ちたいからこうしているのだろうか。ひょっとするとそうかもしれない。俺がここにいる、こんなことを考えている自分が今確かにここにこうして存在しているんだと誰かに知って貰いたいからそうしているのだろうか。誰にも知られずにこの世に別れるなんてことに耐えられないからこうしているのだろうか。なんでも良いから目立ちたいのだろうか。
 連れあいはなにしろ人から目立つことが好きではない。人前で歌を唄うなんてことは全く好きではないし、誰もがそうしていないときに手を挙げて何かを質問する、なんてことはきっとこれまで全くやったことはないのだろう。プロフェッショナルのスポーツ選手なんかにならなくて本当に良かった。そういえば西田佐知子とか山口百恵のように結婚してから全く人前に姿を現さなくなった人たちというのはあれだけ人前に自身をさらしていた経験をどうやって払拭できたのだろうか。あるいはその当時、どうにかして早くこうした生活を止めたいと思っていたのだろうか。
 私は巧くやれやしないのに、人から持ち上げられたら、あぁいいよ!と二つ返事で請け合って、あとになってそれが巧くいかないことに落ち込むというパターンをこれまでの人生の中でいくらもやってきた。そういう観点では全く学習能力がないといわれても否定ができない。
 なぜこうしたことを書き連ねているのだろうか。