どうやらこの国には真の政治家といえるような人は育つ風土がないのかも知れない。これまで戦後の65年間を見ても名を残したといえるような政治家の中でも、その大半は国民のために尽力をしたというよりも米国のために大いに役立った政治家たちであったといっても過言ではないという気がする。
今回の民主党の代表選挙に出るのでないのというすったもんだを見てきても、これに絡んでくる小鳩菅の思考形態はこの国の将来像をどの様なものに持っていこうとしているんだかさっぱりわからず、たまたまの自分の位置関係だけで決断がされているように見える。
こういう方向性に持っていきたいと思っているので、ここで総理の立場から外れてしまったのではそれが実現できない、だから、私はやりたいんだ、というわけでもなさそうに見える。
そうかといって、それでは誰だったらそんなことをやれそうだと思うかといったら、それもはっきりしない。民主党ではこんなにたくさんの人がいるにもかかわらずそうした役割を果たせる人がいないということなんだとすると、彼等を自民党と公明党のやりたい放題から解放してくれる勢力なんだと思っていた私たちはとんだ考え違いだということになる。
まぁ、少なくとも小沢一郎の帳簿記載間違い事件は在日特権を許さない会が検察審査会を揺すっているだけだし、検察のおかしい対応は大手マスコミは報じないけれど、既に当然のこととして捉えられているのだから、問題はないとしても、どうも動機がこの国をどこに持っていきたいからこそであるというわけではないのだから、話にもなにもなりゃしない。山岡某の顔を見ているとヴィジョンが感じられない。
これではどんな選挙でも良いからとにかく選挙に出てそれに勝てば良いんだという単なる「選挙屋」でしかない。こんなことを四六時中ラジオで聞いていると熱は下がらない。