あっという間の5月だったというか、あっという間の震災後の日々だったと云っても良いかも知れないね。気がついたら早くも6月に突入だ。今年はやっぱり震災以降に様々なことがいっぺんに押し寄せてきているし、原発に関していったら、こんなに分かり易い人類の大間違いだというのに、未だにあのシステムにしがみついた考え方に振り回されている人たちがこんなにたくさんいることに呆れ果ててしまって、苦しくてしょうがない。
今朝、地下鉄の駅に向かって歩いていて、ふと気がつくと掌に載ってしまいそうな小さな猫がいて、ギクッと停まってあたりを見ると、路地の入り口の自転車の影に母親と覚しき猫が心配そうに見ている。そういうことかと、その小さな猫を持ち上げて母親猫の傍に置いてあげた。あんなに小さな猫の暖かい体温を掌に残しながら歩き始めると、道路脇に置いてある水の入った甕の中にはメダカが何匹も泳いでいる。目の前を母親に手を引かれた幼子がぽったんぽったん歩いて行く。この世の中にはこんなにたくさんの命に充ち満ちている。そんな数え切れないほどの命のひとつひとつに温度があり、営みがあり、動きがある。そのひとつひとつに思いを馳せることなく、未熟な、未完成な技術を不遜にも自らの「便利」のために推し進める人間の、なんと傲慢で無責任な態度であることだろうか。
少しでも早く、未熟技術をごり押しすることをやめなくてはならない。