ほぼ足りてまだ欲 その先

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世代間闘争

 どうやらネットでの書き込みを見ていると、日本の若者達が暴動を起こしたとしたら、最初にターゲットになるのは団塊の世代だといっている人たちがいるんだそうだ。団塊の世代がこの社会の現状の体たらくを産み出した多くの要因を創り出したという認識になっているのだそうだ。
 若者達が満足な収入を得られる様な安定した仕事がえられないでいるのは団塊の世代がこれまでにやりたい放題をやってきたのが要因で、しかも彼等(即ち私達のことなのだ)はシステムをそのままにして自らは引退し、年金を若者達に払わせておいて、自分達だけはその恩恵に浴し、若者達はいくら払い続けても、将来的には全くその恩恵に浴することができないことが眼に見えている、というのである。
 非正規労働者をこんなにたくさん出現させて不安定な生活基盤の上に暮らさざるをえない状況に追い込んだのは団塊の世代であって、彼等(しつこいけれど、つまり私達のことだ)自身はノホホンと安定収入をエンジョイしてきた。
 団塊の世代がこの理不尽なシステムをこの国に持ちこんだ、ということになっている様に見える。
 これは誰かがこんな見解を若者に説明していてそれが大いに受けているということなのだろうか。
 労働者派遣法を大いに改悪して製造業の現場にまで派遣労働者を導入することを認めてきたのは一体誰なのか。明確にこの法律をいいだしたのは経団連であり、これに踏み切ったのは自民党公明党の政権であり、いうがままに立法のための法整備を運んだのは霞ヶ関である。あれに携わったのは団塊の世代という、非常に雑ぱくにいって、1947年・48年・49年の三年間に生まれた人たちだけだというのか。この3年分の人間達だけで、こうした方の改悪を助長し、促進し、実行してきたというのか。
 この国の年金制度を「百年続く年金制度だ」と豪語してなんの改善もせず、国会議員や霞ヶ関の年金だけしっかり確保して、広く一般の国民が老後の頼りにしている国民年金のシステムを確固たるものにすることをサボってきたのは自民党公明党政権で、それをそのままに放りだしている民主党政権がこれに輪を掛けている、というのが実態だ。あの年金制度をろくなものにしようとしていないのは、勿論経団連であり(なぜなら厚生年金の企業負担分を放り出したかったから)、自分のものさえ確保できていればどうでも良いと思っているに違いない国会議員や霞ヶ関であり、自分の手取りのことしか考えていないとしか思えないなぁなぁな地方議会議員たちであることは全く疑問の余地がないではないか。
 にもかかわらず君たちはそんな表面的なことしか思いつかないのか。君たちは一体全体この国を動かしている(と今でも思われている)民主主義の非常に重要な選挙という行為に本当に参画しているのか。先日の埼玉県知事選挙の投票率は全有権者の僅か25%にも届かなかった。これがこの国の民主主義なのか。上田きよしの独走が眼に見えているから行かないのか。残りの75%が他の候補者に入れていたら、あの表面的には無所属を装っているファシストが何期も県知事を務めなくて済むのではなかったのか。
 いや、ここで私は間違いを正直に認めなくてはならない。今の若者達がすべて一律なわけがない。それを「今の若者」として一律に取り上げたのは大間違いであって、こんなにステレオタイプ化して 語るなんてのはなんたる愚であろうか。お詫びしなくてはならない。申し訳ない、ついカッとした。
 それと同じように、簡単にただ「団塊の世代」として言及するのは大いに間違っているのだ。それは大いに愚といわざるを得ない。
 だから不毛なのだ。