ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

若いお巡りさん

 夜中に目が覚めたらラジオ深夜便が昭和30年代の歌謡曲だといって曽根史郎の「若いお巡りさん」がかかっていた。

もしもし、ベンチでささやくお二人さん
早くお帰り夜が更ける
野暮な説教するんじゃないが近頃ここらは物騒だ
話の続きは 明日にしたら
そろそろ広場の 灯も消える

 これは一体どこの広場だろう?私は皇居前広場のことだろうと思っているんです。この唄は昭和31年でしたでしょうか。当時も、昭和40年代だって、皇居前広場といったらデイトのメッカ(変な言い方だけれど、当時はこの表現は市民権を得ていたものな。今だったらイスラム過激派から攻撃されちゃいそうだよ)だったから、夕方に行ったら、ベンチというベンチはアベック(これももうヤバいんだろうなぁ)に占領されていて、座るところを探そうとしたって、よっぽどラッキーじゃないと見つからないくらいだったですな。
 いや、しかし、物騒だっていってんだから、あのあたりでも不逞の輩が出没したのかも知れませんね。しかも、灯が消えるってんですから、夜の11時頃になったら真っ暗になったのかも知れませんね。そりゃ物騒だ。

 この唄、二番には家出娘が出てきちゃうんですよ。で、そんな子に「今なら間に合う終列車」っていっているわけです。家出して来ちゃう様な子がそのまま終列車に乗って帰るとは思えませんけれど、終列車が毎日そんな遠くまで行っていたってことですよね。今のJRだったら(もはや列車じゃないけれど)終電だって、すぐそこら辺までしか行かないでしょ?「夜汽車」って言葉ももう解説なしで使えませんよ。

 三番は「納豆屋」が出てきます。「一本」暮れっていってます。今時の納豆は発泡スチロールの箱に入ってますから、「一本」じゃないですよね。あの藁に包まれた納豆ですね。しかし、「なっと、なっとぉぉぉ」って売りに来たのはほとんど覚えていませんねぇ。乾物屋さんでも売ってましたけれど、それは経木で三角に包まれた納豆でしたね。赤い文字でわざわざ「納豆」と書かれていました。わかるっての。朝飯に一家で食べるほどの量でした。わが家は両親が瀬戸内の出でしたから、まったく食卓には上りません。中学に入って林間学校に行った時に初めて食べたのかとも思いましたけれど、多分よそのうちで食べたんでしょうねぇ。納豆屋にお巡りさんが「卒業するまでへばらずやんな」って声をかけていますが、当時は学生服で藁の納豆を小脇に抱えて売りに来るというのが定番でした。つまり学生のアルバイトって事になっていました。

 最後の四番はお巡りさんが非番の時にたばこ屋のお嬢さんと鎌倉にデイトに行こうという話です。君が非番の時にたばこ屋のお嬢さんを休ませちゃって良いのか!?

 この一曲ですっかり目が覚めましたね。
 それにしてもどうしてこんな時代の歌の歌詞をこの物覚えのすっかり悪くなった私が諳んじることができるんですかね。不思議っちゃ不思議です。