ほぼ足りてまだ欲 その先

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坂道

f:id:nsw2072:20181223014216j:plain:w300:left 横浜にあった実家の前は坂道で、しかも曲がっている。バスがすれ違うのがようやっとという道だから、バスがすれ違うときは電信柱の陰に身を寄せてやり過ごすくらいだった。その家に引っ越したのは5歳くらいの時で、当時その坂道はまだ舗装がされていなかった。
 まだそれほど車もあんまり通りかかることがなく、リヤカーを引っ張って上がるおじさんなんてのがたまさかいると、良く「おじさん、押してあげるよ!」と手伝ったような時代。それがおかしなことではなかった。電車の中でも、椅子に座っているときに、前に立ったひとが荷物を持っていると、「膝の上に預かりますよ」なんていうのが普通だった。今それをやったら、多分怪訝な顔をされてしまうのが落ちだろう。
 車は滅多に通らないから、どこのうちの車なのか大体わかっていた。その道路と下の川の間の土手を造成して木造のアパートが建ったときは驚いた。そのアパートは道路に面して台所があって、よく見えた。
 坂の上に住んでいる人たちは、下の商店街まで買い物に来て、帰りはヨイショ、よいしょと坂を上がっていく。夏の夕暮れ時なんぞは実に辛そうだった。坂の上には商店が一軒あるだけで、後は交番が建っていた。その交番を右に曲がると滑り止めのためなのか、砂利を敷いた坂が上がっていて、子どもには実に歩きにくい。大人にとっては何ということもないのだろうけれど、子どもにはズックを履いた靴が砂利の動きに負けてしまう。この坂の上には船会社の偉い人が住んでいる大きなお屋敷があって、そのうちには黒い国産の車と運転手さんの家があった。運転手さんが住み込みだった。そういう家だから、当然お手伝いさん、つまり当時でいう「女中」さんがやっぱり住み込みでいた。
 夏の暑い最中、坂道のすぐ下にあるお店に氷を買いに行く。普通は朝氷屋さんが一貫目の氷を配達してくれて、それを木でできた冷蔵庫の上の段に入れる。すると冷気が下に降りて食べ物が保存できる。しかし、誰かお客さんが来て、氷を使ってしまうことがあって、買いに行く。藁の綱でそれをぐるっと回し、その紐を持って坂道を上がる。ぽたぽたと溶けた水が滴る。とても暑かった気がするんだけれど、今の方がきっとずっと暑いんだろう。