ほぼ足りてまだ欲 その先

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相撲

 相撲の本場所と云えば両国の国技館。その前は蔵前に国技館があった。でも、それだって戦後の話で、戦前はやっぱり両国にあった。その元国技館は1958年に日本大学の大講堂になった。それも1983年に取り壊されていて、現在は両国シティコアという施設になっている。
 蔵前国技館ができたのは1954年9月だとされている。あの時代に良くまぁ、あんなものができたものだと感心するけれど、海軍の戦闘機を作る工場の鉄骨を払い下げて貰って、それを資材として活用したというのが面白い。戦後のごたごたの時期ってのは「払い下げ」って言葉がごくごく普通に使われていたものだけれど、巧いこと手に入れるというニュアンスがそこここに散らばっていたよねぇ。
 私が一度だけ蔵前に相撲を見に連れていって貰ったのは、小学校一年生の初場所だったという記憶だから、それは多分1955年の1月だったのではないかと思う。鳴戸海が鏡里だったか、吉葉山だったかに勝った。あのほっそい相撲取りが、でっぷり太った横綱に勝ったといって、とっても喜んだ。私もちびだったからだ。
 日頃、相撲はというと、もちろんラジオでなくては楽しめなかった。ザワザワとした、仕切り時間中の、国技館のざわめきをバックに、放送中はずっとラジオがついていた。八畳間の真ん中の畳二枚を土俵に見立てて、ラジオにあわせて相手のいない仕切りをしていた。昔は一番一番の仕切りがやたら長かったような気がする。今では、あっという間に「時間いっぱいです!」とアナウンサーが言う。
 かつては、相対する両方の力士の呼吸が合うまで、何度も平気で仕切りしていたらしい。それはあんまり記憶がない。時間がいっぱいになると、審判から行事に合図がいって、呼び出しが立ち上がって、力士に合図する。すると観衆がいよいよだ、とわぁ〜と声を上げる。すると畳の上の私も真剣に仕切る。今では仕切りの時間は幕内4分、十枚目3分、幕下以下2分以内ということらしい。BS-NHKで下の方の取り組みを見ると、さっさと決着がつくのが小気味良いというか、あっさりして良すぎるというか。
 テレビ中継が始まったのが1953年だというが、その頃はまだうちにはテレビがない。うちにテレビが来たのは、1957年か58年だと思う。ひと頃は民放も中継していたので、そのチャンネルでは相撲にかけられる懸賞の幕も、そのまま画面に映し出されていた。だから、宣伝効果もあったのだけれど、NHKだけになったら、懸賞幕が呼び出しに掲げられて回り出すと、画面はどん引きになってしまって物足りなかった記憶がある。あれだけ呼び出しの背中で「なとり」なんかは宣伝されてんだからそれぐらい平気で映せよ、と思ってしまう。1984年9月場所を最後に両国に国技館は移転した。今の国技館になってからは、一度も入ったことがない。