ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

元町

 神戸にもそんな名前の通りがあるらしいけれど、ここでいっているのは横浜の元町。京浜東北線が延びて根岸線ができるまで、ここに行くのには市電に乗っていった。麦田のトンネルの前で市電を降りると元町の入り口だった。確か入ってすぐの右側だったかに、ハンバーグのシェルブルーというお店があって、幾度も行った記憶があるんだけれど、あそこはハンバーグ屋さんじゃなくて、ステーキ屋さんだったそうだ。なにしろ半世紀前のこったから、ステーキなんて食えないから、ハンバーグばっかり喰っていたから、そういう店だと思っていた。相手が誰であれ、元町へ行ったらここでハンバーグを食った記憶だ。芸がない。
 喜久屋やジャーマンベーカリーでケーキを食べるという選択肢も随分多用した記憶があるが、ジャーマンベーカリーのレモンパイは、あそこで食べるよりも、ホールを買って帰って家で食べたような記憶が多い。あのメレンゲのことはいつまでもメレンゲというんだと知らなかったような気がする。
 FUKUZOの長袖のポロシャツは男物もあって、着ていた記憶がある。胸にポケットがついていなかった。あれはひょっとするとラルフ・ローレンのパクリだったのかな?女性ものの七分袖のブラウスは随分流行った記憶があるが、つれあいは未だにそれを着ている。
 随分生意気な話だけれど、オヤジが誰かから貰った若松屋のお仕立て券つきワイシャツ生地をおふくろからまわして貰って、それで何枚か若松屋でワイシャツを作った。本当はVANのボタンダウンの方が欲しかったんだけれど、それならそれでラウンドカラーなんぞにして、多分当時は若造のクセにと顰蹙を買っていたに相違ない。今から考えても生意気すぎる。嫌みな話だ。
 元町の通りがクネクネ道になったのは、もうずいぶん最近の話で、そうなってからは2-3回しか行ったことがない。そもそも行く用事が無い。元町に行かなくては手に入らないものを必要としなくなったし、UNIONに行かなくても大概のものは手に入るようになったし、それほどこだわって暮らしてなんていない。信濃屋もポピーもまったくお呼びじゃない。いくつもの店はなくなってしまったし、そもそももはや横浜が私を呼んでくれていない。