ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

民営化とは

 イー・ホームズの藤田が捕まってその関連ニュースとして伝えられていたことに「月間百件の審査をこなすことがノルマだった」という。株式会社が営利的に効率化を図ると云うことは、如何に少ないコストで如何に効率よく利益を上げるかと云うことになるのだから、当然のことである。だから、民営化を図ると云うことがこうした事態を招くことが当然発生することであるのだ、という点を明らかにしていなくてはならない訳だ。
 介護の現場が2000年の社会福祉構造改革という名前の民営化に踏み切った時点で、如何に安いコストを探るのか、という点が切り札になっているのも事実である。ということはどういうことかというと、できるだけ安い人件費で人材を確保することを意味する。だから、いくら資格をつくってもそれを業務独占の資格としない限りはなんの意味もなく、無資格者を安いコストで雇って終わりである。早晩この業界の労働倫理観が低下していくことを危惧しなくてはならないはずなのに、この部分についての論議が日の眼を見ない。
 社会的格差が生まれる背景に確実に存在しているのは、如何に資本の側がコストをかけずに利益を上げるかを至上の命題としていて、それを追求するためには何をしても良いという倫理観の上に成り立っているからだ。
 しかし、これは小泉政権になってから確立された思想なんかではないことは自明である。ず〜っと昔から変わっちゃいない。しかし、それをあからさまにしていくことに対する抵抗感を思いっきり払拭したのは小泉を中心としたグループであることは間違いがない。
 「会社もいろいろであり、人間もいろいろ」なんだから何があっても当たり前だとしてきたのは小泉であり、小泉にくっついて彼を操っているあの男を中心とした一派であることは云うまでもない。そして二人三脚のように「それそれ!」とトヨタという自動車会社を筆頭にした経団連がついている。
 彼らが「格差」を欲しがっていることはよく分かる。格差を解消しようとすると、日本株式会社にとってはコストが上がる、あるいは納税額が増えるのである。受取手が少なければ少ないほどその受取額は増えるのは誰の算数でも回答が出る。仲間はずれを増やせば増やすほど受取額は増える。仲間はずれにされながらも、その仲間でいるような錯覚を植え付けることができればそれが最高。勝ち組の方法論としては正解である。
 労働組合が「遊びたいがために」5月1日にやらない「メーデー」なんておふざけそのものであるが、今や(いや、今に始まったことではないが)日本株式会社の労働組合なぞは、存在していないと全く同じ。連合の親方幹部はいったい何が自分の使命なのか分かっていないんだろうなぁ。もはや。
 私立の学校もこの傾向に拍車がかかっている。私がアルバイトをしている学校ではこのたびアルバイトへの給与の支払日の変更通知が来た。これまで毎月10日が支払日だった。しかし、来月から15日に繰り下がる。なぜだろうと思ったら「アルバイトが増えたから支払日を田の職員の支払日と同じにする」というのである。バラバラだったというのは業務としては煩雑だったんだろうなぁと思う。しかし、もう一つ察するのは、これまで正式職員を起用してきたところをどれほどアルバイト、あるいは人材派遣に置き換えてきているのかという点である。つまり、コスト削減策の結果現れた現象のひとつだと読むことができる。学生のクリティカルに社会を見る能力を育てようとする教員が努力する横で、コストカットに邁進する営利企業の姿が見えてくる。学生を育てるのだけれども、その学生の将来的姿としての格差の拡大を加速するような経営をしなくてはならないのが私立学校の現状なんだとすると、こりゃ少し変だよな。こうなると学校って一体誰のものなんだろうなぁ。