ほぼ足りてまだ欲 その先

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リビアのカダフィ

 いつまで経っても大佐のままでいるリビアカダフィといったら殆ど知らない人はいない。一種異様な考えの持ち主のような意味で語られる場合が殆どだ。ベネズエラのウゴ・ラファエル・チャベス・フリアス大統領と良い勝負かもしれない。そういえば両方とも石油を持っている。
 とても久しぶりにそのムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)の名前を国際ニュースで見たものだから、一体何事かと読みに行く。
 するとカダフィはスイスに対しての聖戦を呼びかける大演説をぶった、というのである。その理由はスイスが国内にイスラムのお寺と云っても良い、モスクの尖塔を建ててはならないという禁止令を作ったことに対する抗議だという。

カダフィ大佐は数千人の聴衆を前に「スイスに対する聖戦布告は信仰に反するものでも背教でもない。また、スイス、シオニズムユダヤ人国家建設運動)、外国の侵略に対する聖戦はテロではない」と呼びかけたうえ、「世界のイスラム教徒でスイスと取引関係を持つ者は、イスラムに背き、預言者ムハンマドに背き、神にも背く不信心者だ」と非難した。(AFP 2010年02月26日 22:50 発信地:ジュネーブ/スイス)

 思わず、えっ!と驚いてしまう。スイスは消費している油の半分をリビアに依存しているという。こうなるとスイスにとっては大変に脅威になる。なにしろスイスの観光産業は安定している治安の上にある。アラブのならず者と云われたカダフィが宣戦布告だというのだから。
 ところがニュースをひっくり返してみるとカダフィとスイスの確執はとんでもないところから始まっていることが分かる。2008年の7月にカダフィの末息子であるハンニバルカダフィが妻のお産のためにジュネーブの高級ホテル(どこだ?)に滞在中に使用人のチュニジア人を含む二人に暴行を働き、地元警察に逮捕されたところから発しているらしい。
 スイスにはアラブ人がとてもたくさん滞在している。サンモリッツでも、チューリッヒでも、モントレーでも高級ホテルに入ってみると必ず長期滞在しているアラブ人に遭遇する。
 アメリカに喧嘩を売って徹底的に経済封鎖されてさんざんな目にあったのがリビアのこの15年間だった。原油を産出するのにもかかわらず、ろくに飛べる飛行機もなくなって、国外に出ようとすると隣国に出てそこからでないと飛べないという状態に陥って国民もあえいだと聞いている。
 それが米国に「参った」と両手を挙げて、1988年12月のパンナム機爆破事件の犯人とされている二人を1999年4月5日に首都トリポリで国連代表に2人を引渡した(ウィキペディア)。
 そしてようやくローマ帝国の遺跡を中心とした各地を観光客を受け入れるようになった。日本からも秘境ツアーがリビアに出掛けるようになった。憧れのサハラ砂漠でテントの中に寝た、と嬉しそうに話すおばさんに出会ったこともある。
 昨年の9月に国連で15分間という予定を無視して96分という安保理批判演説をしたあたりから往年のヒール役割をまた分担しはじめている。昨年年末には衛星回線を繋いで明治大学の学生と討論をして「国連で日本は米国に追随してばかり。もっと自由な意思を持たないといけない」と主張したとも伝えられている。
 彼のやり方はいつでも明確な敵を作ってそれに対する「ジハード(聖戦)」を掲げて国民を鼓舞することでつなぎ止めてきた。
 しかし、実態は敵を国外に作ってそれを指揮するリーダーとしての地位の確保だ。彼は王制を打破したけれど、今や自らの家族をあたかも新たなロイヤル・ファミリー化しているのだ。北の社会主義を標榜する専制国家と構造としてはそれほど変わらない。私怨を宗教を使ってはらそうとする卑怯な単純構造にすぎない。しかし、本当にやってしまった過去を持つ。そういえばそういう論理を振り回す輩はどこにでもいるものなぁ。
 スイスがカダフィ一家を含めて188人のリビア人入国を禁じた対抗措置として、リビアは欧州の大半の国の市民へのビザ(入国査証)発給を停止したそうだ。
 これは「スイスは欧州諸国の大半で市民や旅行者が旅券(パスポート)審査なく移動できる「シェンゲン協定」に加盟。スイスによる入国拒否対象者は連動して他のシェンゲン協定加盟国へも入国できなくなるため、リビアの対抗措置の範囲が広がったとみられる」と日経新聞が報じている。
 なにやらきな臭くなってきた。