どう考えても、廃棄物の処理、使用済み燃料の処理に決定的な手段が見あたらなくて、壊すにしても、封鎖したまま被爆の可能性がなくなるまで処分することができないという原発をどうしても動かそうとする、その意識の根底にある動機がいかなるものかということを想像するしかないのは実に恐ろしい。
自民党・公明党は「動かす」と言い張っている。なぜこんな理不尽な代物を動かすという主張ができるのだろうか。現在従事している人たちの働く権利が妨げられるから、というようなある種の人道的な理由であるとは思えない。
どう考えても、これを止めると得をしない、つまりこれを動かすことが金になるという仕組みが作られていたので、これを止めると計算できていたはずの金が生まれなくなるということなのだろう。
こういう仕組みになんの恩恵も授かっていない人たちでなくては本当のことを言い切れない。だから、反対する人たちの価値観は打算に立っていない。賛成する人たちはもちろんそういう打算に立っているということだ。
それでも、いまだにいわゆる「政府」がいうことは間違っちゃいないと思っている人たちがいくらでもいるんだという現状があるということはそれだけの人たちがこの打算を意識しているってことだ、ということになるのだろうか。
爺の打算を粉砕しなくちゃならん。どうしたら粉砕できるのか、具体策が見つからない。