あれは1985年くらいの話だったと思う。会社のお偉いさんのお供ってことでカリフォルニアのサンフランシスコに出張した。当時はまだ銀行の系列というシステムがあって、主たる銀行が私が勤務していた企業と同じくする企業グループがその最終日に、その中の商社の支店長宅でのホームパーティーに呼ばれた。これはもう恒例のことのようで、お偉いさんは「やぁ、やぁ」ってなものだ。私を含めたお付き連中はほとんどお互いの顔も知らないし、ましてや名前なんて知るよしもなくて、この部屋を控え室にしているようにといわれた部屋で、実にぎこちない接触を図る。
ふと、キッチンの方が見えた時に、私はびっくりした。とんでもない数の日本人の女性が前掛けをして働いておられた。こりゃ一体何事だ!といわんばかり。あたかも現地の日本人会の婦人部の集まりでもあったのかというくらい。
私はそんな現地赴任日本人社会なんて知らないから、こりゃ大変なことになっているんだなぁ、そりゃ移住してきた日本人の人たちの社会とは随分ちがッちゃってんだなぁと驚いた。あとで聞くと、当時のそうした商社の現地法人に働く日本からの赴任者たちの社会には独特の文化があったという。本当かどうか知らないけれど、家族丸抱えの赴任だったそうで、奥さんの活動に対しても幾ばくかの報酬が出ていたから、そういう時に支店長宅に集まってケイタリングの替わりをするなんてのは当たり前だったという。しかも、そのご婦人方の社会にも、きちんとヒエラルキーが存在して、支店長夫人を筆頭にして階層があったんだそうだ。ま、日本人はそういうヒエラルキーが好きだからしょうがない。多分、そうでないと人との距離感がつかめなかったのかもしれない。
かつて某所で働いた時の上司という人がそんな文化で育ってきた人で、うちのつれあいがあとからやってきた時に「未だに挨拶がないのはどういうことか」と聞かれて一体何のことなのかわからなかった。それは私のつれあいがやってきたら、自分のつれあいの元に参じて、仁義を切らなくてはいけないという意味だったのだとあとで知った。西も東もわからない土地にやってきたんだから、逆に「困ることはない?」とアドヴァイスしても良いんじゃないかいと思ったくらいだった。
そこにたまたま移住していた知り合いがいてくれたので、ご夫婦お二人に本当にお世話になってしまった。知らぬ街ではどんな言葉一つでも力になる。彼らには本当に力づけて貰った。