ほぼ足りてまだ欲 その先

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なぜ戦前回帰

 稲田朋美防衛大臣が「防衛大臣」として靖国神社を参拝しましたね。いわずともしれておりますが、彼女や安倍晋三等は「日本会議」あるいは「神道政治連盟」というような団体に所属して、戦前の体制に回帰するべきだと檄を飛ばしていますよね。櫻井よしこなんていう人もその中心になって「神国日本」の復活を唱えていますよ。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」なんていう議員連盟なんてものまでできています。
 日本のいわゆる「神道」というものを大事にしよう、というのと、神道を日本の国教にしようというのとは別のものだし、ましてや「靖国神社」を参拝するかしないかというのはそれらとも全くの別のことである、という認識にはいないように見えます。
 日本人はすべからく天皇を神として崇め、神道を自らの宗教として拝み、国のために殉じたすべての人を神としてあがめ奉るべきだと彼らはいっているように見えます。従って神である天皇は神として臣民のために祈りを捧げることに全身全霊(神に霊があるのでしょうか?)を傾けるべきであって、国務なんてものに振り回されてはいけないし、己の立場から身を引くだなんてことを考えてもならないのだといっている人だっていますからね。
 しかし、この一連の考え方の中にはどうしても胡散臭さがつきまとってしまいます。それは本当に天皇ってのは万世一系のものなのか、神武天皇は神話なんだから、神話として理解して、それでなにがいけないのか。靖國は元はといったら神社なんかじゃなかったでしょ?祀られている人たちの中に、軍人ではない人たちが平気で混ざっているじゃないか、そして祀られたくない人たちも勝手に祀られてしまっているのではないか、戦死した軍人の中には祀られていない人たちもいるではないか、ましてや先の侵略戦争の指揮を執った連中まで祀られているわけで、祀るという概念が非常に胡散臭い結果となってしまっている。
 その胡散臭さは彼らとて感じているはずです。感じていないんだとしたら、それはもはや盲信ってことになりましょう。
 そして不思議なことにこういう動きをする人たちのほとんどが「排外的な思想」に取り憑かれています。侵略し、暴虐の限りを尽くしてしまった相手をあげつらい、そうした国からやってきた人たちに対して、この国から出ていけといってデモしている人たちと重なります。そして官憲を含む行政は彼らを取り締まるどころか黙認しているように見えます。彼らの流れをくむ連中の中には3.11以降の反原発デモに対してすら妨害行為を行ってきました。沖縄の新基地反対行動に対しても妨害をしてきています。
 ここまで来ると、右翼思想とは神道保守思想と、天皇制保守思想と排外思想がごっちゃになったものなのかと思ってしまいますが、実際重なって見えます。
 それが安倍晋三自公維政権にまさにぴったりはまっているわけで、これが諸悪の根源となってしまっています。日本国憲法を変えようという動きはまさに彼らの行動半径そのものに嵌まっていますよ。ということはこういう動きをすると、得をする連中がでてくるんだと思うのですが、そうかといって、一般国民のひとりひとりはそんな得が手中に落ちるのですか?そうとは思えませんよねぇ。だとしたら、彼らを支持するのはなにがきっかけなんでしょう。そのまま動いていったら「一億人民火の玉」になっていっちゃうと思わないのでしょうかね?なっていくのが当然だとでも思っているんですかね?
 安倍晋三一派はこのままで必ず利権が手に入ります。それは間違いない。どんどん海外へODAを出してやれば、百パーセントとはいわないが、かなりの割合が国内に環流してきます。すると彼らは政治献金をしているわけですし、当然裏もありますから自身に環流してくるわけです。そうでなくても政権側の議員であれば、甘利明の例を引くまでもなく、当然の見返りはあります。
 しかし、一般の国民にとっては一体何がかえってくるのですか?結果的には社会保障の削減、なんてことになってきて(今、ここにいます)まったく搾取されます。それが「お国に命を捧げる!」ということになって天皇の赤子としての、そして「火の玉」としての満足感に通じる、というのであったら、なにをか況んやであります。

 パラパラとめくってみたんですが、やっぱり難しそうで、逡巡してしまいました。