美智子さんがお誕生日で84歳になったそうです。美智子さんといっても、私と小学校で4年間同級生だったあの美智子さんではありません。苗字が違います。こっちの美智子さんはかつて正田さんと仰いましたな。お父さんは日清製粉の社長でしたね。だから、「粉屋の娘」なんぞといわれておりましたが、あれはむしろ、親近感を持って云われていたんじゃないかという気がしません?とはいえ、大金持ちのお嬢さんでしたから、聖心女子大なんてところに進学されてましたし、何しろあの当時軽井沢でテニスなんぞに興じておられたんですから、その辺のうどん屋とは違っておりましたね。
百回噺ですが、一度だけあのご両親と同じ飛行機に乗り合わせたことがあります。もう、32年ほど前のことですが、東京から米国のサン・フランシスコへのフライトでした。当時はもちろん日本航空でございます。おかあさんが、今の美智子さんにそっくり。あぁ、多分歳をとったらこうなるんだろうなぁと思っていたまんまでしたね。あのお二人には万能な執事がついておられました。なにしろホテルでのお世話から、レセプションでの同時通訳までやっておいででしたからそんじょそこらの昨日今日会社勤めを始めたような青二才とは格段の相違でしたけれど、あの人は正田さんの個人的な執事だったんでしょうか、それとも、日清製粉の社員だったんでしょうかねぇ。本当の執事という職業の人を見たのはあの人が初めてだったと思います。不思議な感覚でしたねぇ。
そういえば5年ほど前でしょうか、同じSan Franciscoの空港で70代の日本人夫婦の世話を焼いていたおじさんもやっぱりそんな職業のように見えましたね。それ以来、わが家では二人で旅行するときは架空の執事「鈴木」ごっこをしています。バカだね、これはもう。
そうそう、小学校で同級生だった美智子さんはその後どうしているんでしょうねぇ。背の高い、格好良い人でしたが、先生に言いつけられて、ガックリ来たのが小学校三年生の時だったような気がします。もう覚えとらんだろうなぁ。