ほぼ足りてまだ欲 その先

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思想の科学 1995年3月号

 もう随分前に、池之端の古本屋でごっそりと「思想の科学」のバックナンバーを入手したことがあって、その一冊。
まるごとその前年1994年11月19日に浅草の木馬亭で開催された第二回『思想の科学』浅草まつり「異人たち」での講演記録らしい。
最初に金時鐘の講演が文字化されて掲載されているんだけれど、そこには日本の植民地としての朝鮮でいわゆる天皇の赤子として教育される小学生のことが書かれている。宮本という名前の校長が、学校の中で突然子どもに質問をして、その返事が正しい日本ではないと、あるいはとっさに朝鮮語が出てしまうと、それが正しく直されるまでビンタをしたと書かれている。日本語に自信を持っていた金時鐘も荒縄の切れ端を手にした宮本校長に「これはお前が落としたんだろう?」と聞かれた。「違います」と答えたらビンタされ、鼻血が出て、鼓膜が破れてもそれが続き、最後に「いいえというんだ」で終わったと。

 この校長先生も決して朝鮮の子どもたちが憎くてしごいたのではなくて、逆なんですよね、朝鮮の子どもたちを天皇陛下の赤子にすることがこの子どもたちを幸福にすることだ、朝鮮を良くすることだと心底思っている教育者なのです。

 こう書いてあることに私は大きな衝撃を受けた。彼の話はここから日本の価値観はこの「いいえ」というゼロか100かではない、非常にまろやかな柔らかみを持った言葉であるという方向へ行くんだけれど、私が絶句したのは、この校長の価値観の絶望感だった。そうか、これか、威張っている、つまり為政者側であるという驕りだけではない、ということなのかという絶望感だった。ひょっとすると日本会議に与し、オカルト的といわれる統一協会の力を借りて議員になる連中ではなくて、そう仕向ける有権者の中には本気になってこう思っている連中がいるのかもしれないという絶望感である。
 この国はひょっとすると、こうした圧倒的な勘違いから脱却することは金輪際無理なのではないのかという絶望感である。