ほぼ足りてまだ欲 その先

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訃報

 ここのところ訃報が気になる。それはなぜかというと、私たちが少年時代に世の中を明るく照らした人たちの訃報だからなのかもしれない。

トニー・ザイラー

 いわずと知れた(最近の若者には知られていないかもしれないけれど)、スキー界の初代王者。彼がコルツィナダンペッツォ(1956)の冬のオリンピックで三冠王になった時(今でいったら水泳のマイケル・フェルプスといったところだろうか)、日本初の冬のオリンピックのメダリストとなったのがスラローム猪谷千春だった。幼心にトニー・ザイラーという名前、そして猪谷千春という名前はくっきりと刻まれた。その上、トニー・ザイラーは「白銀は招くよ」という映画にまで出演し、その歌まで唄っていた。それがとてもスキー選手とは思えないほどの甘い声で、軽快なメロディーの歌を唄った。

 日本人の歌手もこの歌を唄っていた。もちろん日本語の歌詞である。ところがその歌詞を思い出せない。♪こなゆきぃ、とぶよ、とぶよ♪なんてところがあったような気がするだけだ。あの映画は1959年だというから私はもう小学校を卒業するかという頃で、彼が日本に来て日本の映画に出演していたのももちろん聞いていただろう。それにしてもあの映画がカラー作品だったのは意外だった。ひょっとしたら黒い稲妻がモノクロだったのか、あるいはコルツィナダンペッツォのオリンピックのニュース・フィルムが頭に残っているのか。
 その当時、私の中ではトニー・ザイラーに比べて猪谷千春の名前はそのまま埋もれてしまった。彼はウィッキペディアによればAIU創始者のスポンサリングを受けてダートマス大に留学し、留学期間中にオリンピックで銀メダルを取ったのだそうだ。そのままAIUに1959年に入社し、そのまま日本支社長となったのだとしてある。私の記憶ではその間ずっと彼の名前を聞くこともなく、ある日気がついたら彼がお堀の傍のAIUの頂点に立って甲高い声でテレビでオリンピックについてコメントするのを聞いていた。
 私の中ではトニー・ザイラー猪谷千春はワン・ペアーだった。トニー・ザイラー享年73歳。

エドワード・ケネディ(Edward Moore "Ted" Kennedy)

 JFKそしてRobert Francis Kennedyの弟。彼は上院議員として影響力を保ち続けたけれど、二人の暗殺されてしまった兄貴に比べてどうしても力不足というか、いまいち切り札としての力を持ち得なかったという印象が強い。それにしてもこの三兄弟の人生が終わると同時に、また一つ大きな区切りがついたような気がする。この年に日本の政権与党が交代するというのは何となく意味があるようでもある。