ほぼ足りてまだ欲 その先

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山下

 山下といったら、今は山下達郎だが、かつては山下敬二郎というのがいた。いわゆるロカビリー三人男のひとりで、といったところで、若い人たちにはそのロカビリーってものがわからない。エルビス・プレスリーの物まねをして、粋がった不良の一団とでもいえば良いのだろうか。1950年代だっただろうか、当時「ジャズ喫茶」と呼んでいた、今でいえば「ライブ・ハウス」で唄う連中のひとり。山下敬太郎というのが父親で、これが柳家金語楼金語楼の弟に昔々亭桃太郎というのがいて、ほとんど金語楼に似てはいないんだけれど、金語楼の映画や番組に出ていたのを覚えている。晩年はどうしていたのかと思っていたら、ウィッキペディアによれば不遇の晩年だったという。それでも娘のような愛人に看取られて、1970年に60歳で死んだという。不遇なのに、愛人に看取られるというところが芸人で、素人なんぞはたったひとりで野垂れ死ぬ。いや、ひょっとしたら、その方が芸人ぽくて良いんじゃないかという気がしないでもない。
 柳家金語楼といえば、その「兵隊落語」なるものは戦後やっていたのかと思っていたのだけれど、いや、とんでもない、彼は1922年に除隊してから、それが売り物だったんだという。じゃ、私が幼くしてラジオで聞いた金語楼のそんな落語は録音だったのか、彼が戦後もまたそんな噺をやったのだろうか。「やました、けったろぉ〜であります!」ってのを覚えている。金語楼はテレビでも大活躍をして、もちろんNHKのテレビで「ジェスチャー」ってのを永年やっていた。女性軍のキャプテンが水の江滝子で元はといえばSKDの売れっ子だったらしい。私が知っているのは「わちし」と自分のことをいうおばさんで、その後、三浦和義(サッカーじゃない方)のロス疑惑の時に、彼は水の江の隠し子で父親は松竹の社長だった大谷隆三だと噂が飛んだ。金語楼といえば愛人を入れて5人の妻がいたということになっている。山下敬二郎の母親も戸籍上(というのはおかしいが)は愛人らしい。
 良く金語楼が出るテレビ番組には小桜京子というのが出ていたが、彼女は金語楼の姪っ子だという。なるほど、それでよく見たわけだ。金語楼のテレビといえば「おトラさん」というのがあって、スポンサーが「マスチゲン本舗」といった。金語楼が唄う♬チ、チ、チを増す、マスチゲン!」というコマソンを覚えている。「おトラさん」というのは当時読売新聞に連載されていた西川辰美の漫画で、それを原案に今のTBSテレビで「金語楼劇場」として放送されたとウィキペディアに書いてあるが、そこにはスポンサーはノーシンだったと書いてある。じゃ、マスチゲン本舗はなんだ?このドラマにも小桜京子は出ている。「こんちわぁ〜!やっまざきやでござぁ〜い」と出ていた男がいたんだけれど、あれは誰だったろう。これだって、今やネットですぐにわかる。谷村昌彦というまるで二枚目役者のような名前で、ひと頃良くテレビで見たものだ。この「おトラさん」は映画にもなった。私は映画では全く見ていないが、1958年に公開された『おトラさん大繁盛』には無名だった渥美清が映画デビューしたんだと、またまたウィキペディアがいう。