ほぼ足りてまだ欲 その先

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60年

 チリ地震津波からもう60年が経つそうだ。あっという間だ、とまた云ってしまう。当時、私は今でいう静岡市清水区、つまり当時の清水市にいた。中学一年生で、桜橋という静岡鉄道の駅からそんなに遠くないところに暮らしていた。全然勉強なんてしない中学生で、もうほとんど小学生と変わりない。学校の帰りに友達のうちに鞄を置いて、そいつの家の近所の田んぼの畦で小魚を捕って遊んでいた。まさに「小鮒釣りし」だけれど、川じゃなくて、畦だった。
 毎日だったとは思わないが、ほとんど毎日学校の帰りに、巴川に面した道の脇に建つバラックのような塾に通って、数学と英語の問題を解く、ということを課せられていた。ところが予習もしなきゃ復習もしないんだから、勉強なんてわかるわけがなくて、それぞれ黒板に書かれた問題をノートに写して、回答を書いて、なんとも怪しいおじさん先生にそれを見せて丸を貰って帰るという塾。真夏になるとそのおじさん先生はチジミのステテコに上半身裸だったりする。それで、子どもがだいたい一巡すると前に出ていって解説をする。しかし、それでもろくすっぽ聴いちゃいないから、出された問題に似ている過去問を自分のノートから探して、それを見ながら写すだけだから、わかるわけがない。表面面をつついているだけ。この空白はあとで埋めるのに、往生したものだ。
 その塾へ行く道で、巴川の水が異常なまでに引いているのを見て、とても気味が悪かった覚えがある。上流につないであった南洋材のマルタが降りてきてしまっている。子どもこころに気味が悪かった。それがチリ地震津波だったらしい。
 しかし、南米のチリで起きた地震津波が日本まで来たんだから、そりゃ凄かったんだろうなぁ。太平洋上で遭遇した船舶はどうしたんだろう、と思ったんだけれど、太平洋を伝播してくる間の波高は全然大したことがなかったらしい。そうか、充分なまでに深さがあるんだろう。波が高くなるのは、回転運動が急に浅くなる海底に邪魔されるからブレイクして高くなるのだから。