ほぼ足りてまだ欲 その先

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村井吉兵衛

f:id:nsw2072:20201115022620j:plain:w360:left 墨田区横川にある「たばこと塩の博物館」に村井吉兵衛の特別展示を見に行く。2年前にも一度この博物館に「1873年に開催されたウィーン万国博覧会」についての特別展示を見に来たことがある。とても、博物館のあるような場所ではない。1978年11月、渋谷の公園通りに作られた博物館を2015年に今の場所に移したとしてある。随分な都落ち感ではあるまいか。元はといえば多分専売公社の倉庫ではなかったか。北に行くと、東京都住宅供給公社が48年前に建てた14階建て、362戸のマンションが聳えている。今でも2DKで3000万円もするのが不思議だ。あ、話はそんなこっちゃない。

f:id:nsw2072:20201115022855j:plain:w360:right 村井吉兵衛(1864年2月29日1926年1月2日)という人はたばこで財をなした人で、京都の出身。一族の始まりは石川県のようだ。たばこで財をなしたといえば、ライバルは「天狗」の岩谷松平である。この二人はことのほか、鎬を削り合い、とことんネガティブ・キャンペーンまで張り合ったそうだ。あっちがこうなら、こっちはこうだのやり返しだったらしい。その辺がみっちり書かれている。あ、そういえば1,200円の図録を買ったら、もう展示はほとんど網羅されているわけだから、来なくても良いかもしれないというくらいかな。

f:id:nsw2072:20201115023615j:plain:w360:left 驚いたのは、京都の円山公園にある長楽館は村井吉兵衛が迎賓館として建てたものだが、その設計を始めたのはJames McDonald Gardiner(1857年5月22日 - 1925年11月25日)だという。彼はChanning Moore Williamsの要請によって米国聖公会から日本へ派遣され、初代立教大学の校長を務めた建築家なのだ。村井吉兵衛とGardinerは家族同士のつきあいだったそうだ。ま、実際に設計作業に携わったのはお抱えの吉武長一だろう。
 1954年に長楽館を土手富三が入手し、現在はその息子の嫁に当たる土手素子氏が代表取締役を務める企業の持ち物としてカフェやレストラン、そしてホテルとして運営している。数年前にカフェで金柑のケーキを戴いた記憶がある。当時私はアールデコの建物に憧れていた。

 しかし、それでも、なんでこんな特別展示に行く気になったのかというと、この一族のどの辺に位置するのか知らないが、かつて私の上司だった方が、この一族だと聴いたことがあったからである。
 村井吉兵衛は後にタバコが専売制になってから、様々な分野に手を伸ばし、中には村井銀行まであったというが、企業向け金融だったため、1927年の金融恐慌であえなく休業。京都には今でも当時の村井銀行の建物があるという。

図録が大変に面白い。