ほぼ足りてまだ欲 その先

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歴史

 日本の歴史なんてほとんど知らないんだけれど(そんなことをいったら世界各国の歴史に至っては全く知らないようなもんだ)、薩長が持ち出してくるまで天皇さんってのは京都にいて、全国民が知っているなんてことはなかっただろうなぁ。
 それがいつの間にか、全国民が必ず頭を下げなくてはならない存在になったわけだ。ご真影なんてことをいうようになったのは一体いつからなんだろうね。実物を見たら勿体なくて眼が潰れるなんていっていたことだってあったわけで、なんでそこまでいったのかね。とても疑問。
 あそこのうちの、弟さんのお嬢ちゃんが、大学時代の同級生と結婚したい、といっていて、やれ、お母さんが借金を抱えているんだとか、婚約していた相手を騙したんだとか、って喧(かまびす)しいよね。いいじゃんね、よそのうちのことなんだから。
 税金で暮らしている人たちなんだから、文句言わせろっていうんだったら、そりゃ違うだろ。税金で暮らして貰っているのは、あの一家のそれぞれの人に出てきて貰うことで、権威付けに利用している人たちがいるからなんだからね。競馬にカップを出していたり、相撲にトロフィー出していたり、サッカーだ、ラグビーだって、スポーツ業界はそれを十分に利用しているしね。
 なんでもあの家族の人の前でなにかをやると、御前何とかってぇます。1973年(昭和48年)、三遊亭圓生は落語家として2人目の御前公演。香淳皇后の古希の祝いの御前で『お神酒徳利(おみきどっくり)』をやったらしい。じゃ、最初の御前落語をやったのは誰かというと、ウィッキペディアでは1967年に昭和天皇の前で三遊亭歌奴が「授業中」をやったといわれているけれど、本当かどうかはわからないとかいてある。本当かどうかはわからないってのはどういうことよ。宮内庁にお伺いを立てると答えるのかね?大体、宮内庁という役所に「お伺いを立てる」も何もあったもんじゃないけれどね。公僕は歴史をきちんと明らかにせよ!
 香淳皇后といったら、昭和天皇の奥さんだよね。どうやら晩年は認知症だったんじゃないかといわれていたから、ほとんど見かけませんでしたよねぇ。それでも享年97歳だってんですから長命でございますなぁ。旦那さんは米寿の年にお亡くなりになってんですね。あの時、テレビが全部面白くなくなっちゃってねぇ、ビデオ屋にいったら、近所の友人にバッタリ逢ったことを覚えていますよ。あれで、各地のビデオ屋は相当儲けたことでしょうねぇ。

 来年お正月のご挨拶の式典は中止ですよ!ゆっくりお正月を満喫して下さい。

 今朝も東の空にキラキラ星が光ってましたよ。

 そうそう、昨日の満月を!半影月蝕で左半分、なんとなく暗いのです。

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