ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

スパイ

 アメリカで生まれて育った人がアメリカに暮らすままロシアのスパイになる、あるいは日本で生まれて育った人が日本にそのままいて中国のスパイになる、というのは考えられるが、ロシアで生まれて育った人がアメリカでロシアのスパイをやるとか、中国で生まれ育った人が日本で中国のスパイをやるというのはちょっと考えにくい。
 というのは、喋り言葉ですぐにバレるからだ。微妙なイントネーション、あるいは日本語でいえば「てにおは」の使い方。すぐにバレる。そして難しいのは慣用句。これはいくら教えてもらってもなかなか理解しても身につかない。そしてもっと難しいのが、子どもの頃から自然と身につく歴史的言葉や昔話のような類。例えばおみやげにお団子を貰って「はい、はい、家来になりますよ」といったら、日本人だったらそれは桃太郎から来ているんだろうなと理解に及ぶけれど、その習慣の中に育たなかったら、わからない。そして、そんな類はどれだけ勉強しても網羅できるかどうかわからない。
 戦争映画で通りかかった味方部隊の上官のちょっとした言語の行き違いから、米軍兵士がこの部隊がドイツ軍のスパイ部隊だと見破るなんてのはあり得ることだけれど、そうそう簡単な話じゃない。ドイツ軍の上官はアメリカ生まれの英語を喋ったということになるのだろうか。この映画ではこの偽米軍の上官が「July the 4th」を知らなくてバレるんだけれど、こんな程度じゃそりゃバレるよ。
 そうすると、戦争前に日本にやってきていた帰米二世の日系米国人が日本に帰化して太平洋戦線で投入されていた日系米人語学兵に化けるという筋書きがあってもおかしくはないかも知れない。
 しかし、こういうスパイ見極めの習慣が身につくと、ちょっとそのたぐいを知らない人に遭遇すると、もうその人を信用しなくなる可能性がある。
 
 関東大震災のあとの朝鮮人や中国人を無闇矢鱈と暴行に晒した事件が教訓として残した事実はこのたぐいの誤解というか、パニックでの無教養の怖さを象徴している。特定の言葉を発音させてそれが正しくないと、それっといって暴行を加えたと聞くと、恐ろしい。
 そんな事実をかつての東京都知事は9月1日に挙行されるそうした犠牲者を慰霊する催しに際して、言葉を送ってきていた。それを小池百合子は就任以来ずっと無視してきている。彼女は無言のままあの暴行事件を否定する姿勢を見せている。ただ単に続いていた習慣を辞めた、というだけのことではない。こういうやらないという行動がこの国の歴史を公的に否定しているんだということだ。
 私たちは、それほど大したことではないと思っているけれど、この国の歴史を無視する、あるいは解釈を変えるという行為を公的に行っているということなのだ。

 旧統一協会がやってきたことを白日の下にさらけ出して、誰が何をやったのか、そして誰を傷つけたのかを明確にしない、ということは、彼らがやってきたことを隠蔽して、犠牲者を無視するということである。そしてそれをすることによって、誰が得をしたのかを有耶無耶にするということである。関東大震災の事件も、そして旧統一教会がやってきたことも、それに絡んで政治が動いてきたことも、有耶無耶にすることによって何が起きるのかといえば、歴史が変えられてそれを呆然と見送るということである。

財務省が佐川某も絡ませて、安倍晋三に忖度してきたことも、このまま有耶無耶にしてはいけない。それはこの国とその歴史を冒涜することになる。