そうそう、日本が宣戦布告もせず、真珠湾を攻撃した、そんな不名誉な日だった。
あの年は日本は月曜日で、ハワイィは日曜日だった。
真珠湾攻撃の総隊長だった淵田美津雄は後に自叙伝を書いている。
彼は戦後牧師となって、米国に布教にも出向いている。
一方、二人ずつ5隻の特殊潜航艇に乗り組んだ10人の海軍士官は米軍によって捉えられ、うちわずか一人が生き残って日本軍最初の捕虜となった。戦死した9人は本国で「九軍神」として称えられたけれど、当時の新聞もなんで中途半端な9人なのかについては言及しないし、皇国の臣民共も不思議に思っていなかったのかもしれないけれど、特殊潜航艇が二人の乗組員によって運行されていたことを知っている人たちは不思議に思ったはずだね。
捕虜になったのは酒巻和男という少尉で、この人はハワイの捕虜収容所に収容されたらしいが、後に同じ収容所に収容された捕虜たちの目には随分と高飛車な人に映ったらしい。彼は戦後TOYOTAの社員となり、南米で支社長まで努めたことが知られている。
宣教師の息子として小樽に生まれ、1935年に14歳でアメリカに帰国、21-2歳の頃に海軍少尉としてハワイに赴任し、日本人捕虜収容所長となったOtis Caryが書いた本で、この中にも酒巻和男に言及しているのではなかったかと思う。(もう詳細をよく覚えていないが)。
日本人捕虜といえば、今では多くの日本人も知っているだろうけれど、豪州のニュー・サウス・ウェールズ州のカウラにあった捕虜収容所で起きた日本人捕虜の集団脱走事件を焚き付けた南忠男こと豊島一(とよしまはじめ)は1942年2月19日に登場した零戦が被弾してメルヴィル島に不時着、失神してつかまり、日本軍人として豪州軍の捕虜第一号となった。これは戦後もあんまり日本人には認識されていないけれど、日本軍は豪州北部の町、ダーウィンに60数回もの空爆、空襲を仕掛けている。
あの戦争は日本国として正式に総括されることなく80年を経過してきてしまっているので、歴史として詳細な事実を知られていない。とても「歴史のある伝統豊かな」国というような形態を保ってはいないのである。
映画「ジョン・レノン 失われた週末」(原題:The Lost Weekend: A Love Story)
WOWOWでやっていたのを途中から見ただけ。日本で公開されたのは今年の5月なんだそうで、そんなことすら知らなかった。チャイニーズのMay Pang (正式名:May Fung Yee Pang)を中心にした話。1950年生まれだってんだからもう74歳になるわけで、映画の最後に本人がJohn Lennonの息子のジュリアと歩くんだけれど、やれやれと思ってしまう。ジョン・レノンも結構いい加減なんだね。もう彼が死んでから44年も経ったわけで、ふと気がついたら、そうだ、きょうは彼の命日じゃないか。あの年、私はアフリカへの長期出張でNYCのいずれかの空港でトランジットしたことを思い出したよ。多分あれが私の初めてのNYCで、空港から外へは出ていない。