ほぼ足りてまだ欲 その先

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じいちゃん

 父方の祖父という人は岡山の片田舎の農家だったのだけれど、随分早くなくなったらしくて、全く知らない。父親のアルバムにも、早死にしたという祖母の写真は残っていたけれど、祖父の写真も、兄の写真も残っていない。その辺になんかあるんだろうという気がする。
 母方は祖父も祖母もしっかり覚えているんだけれど、それぞれの葬式のことを全く覚えていない。それはどうしてなんだろう。母の実家には母の妹が婿養子旦那とひとり息子と全部で5人で暮らしていた。だから、祖父にとっては全部で4人しかいない孫でありながら、遠くに暮らしている3人がやってくるのが嬉しかったらしく、夜行急行列車の「瀬戸」に一晩揺られて遊びに行くと、しきりに歓待をしてくれた。その歓待というのは、まず最初に目の前にある食堂にうどんの出前を取りに行くことだった。あれは多分岡山に到着するのが午前11時過ぎだったようで、吉備線で吉備津までいくんだからもう昼は過ぎていたんだろう。兎に角「ようきたなぁ、じゃ、うどんを頼んでこよう!」といって出ていった。なんでうどんだったのか、未だに謎は解けない。それから、本物か、誰かに作らせたものか知らないが、どこかから、巻物を取りだして「これがうちの系図じゃ!こういう人がおったそうじゃから、鎌倉へ行って調べてみてくれい」といっていたのを思い出すが、それが誰のことだったのか、全くわからない。もうあの実家もたったひとりの孫だった私の従兄が1995年に急逝してから、多分もう誰もわからないだろう。
 近頃朝起きて鏡に向かうと、あの爺ちゃんに似てきた気がする。小さい、丸顔のほとんど頭に毛のない顔でしわがれ声だった。私が似ていないのは、声だけだ。私の声は誰から授かったものだろう、とんと見当がつかない。こっちの爺ちゃんも、婆ちゃんもまだ声を想い出すことが出来る。